第3回日本横断522km川の道フットレース

■第2ステージ:こまどり荘〜小諸市小諸キャッスルホテル
布団に入るとすぐに眠りに入ったが、やはり体が興奮しているせいか、2時間ほどで目が覚める。しかし、これでは後で眠くなると思い、さらにうとうとと2時間ほど眠る。起きたのは18時過ぎ。外を見ると心配していた雨が降っていない。松橋さんは先に起きてもう出発直前の体勢だった。ちょっと睡眠時間が少ないがこれ以上寝ているのもかえって疲れそうだったので、起きて支度をする。疲れは思った以上に取れていて、足も軽やかに動きそうだった。一日目に履いていたサッカニーのシューズは底が削れて、ミッドソールが見えてきていたのと、ちょっと足がきつかったので、バスクのトレイルシューズ・アンプを履く。林道もあるし、安定感もあるので、トレイルシューズはウルトラマラソンにも向いているのではないかと前々から思っていたので、そのテストでもある。
19時ヘッドライトをつけてこまどり荘をスタートする。三国峠までの20kmは舗装していない林道だ。しかしシューズはトレイルシューズだし、いつもの山道と比べたら、車も通れる緩やかな坂。疲労も取れていて、足がスムーズに動いた。寝ている間に少し雨が降ったせいか、渓流に岩が落ちる音が時たま聞こえてくる。1時間ほど歩いて行くと、30分ほど前に出発していた松橋さんに追いつく。山は慣れていないらしく、なんとなく追いつくのを待っていてくれたらしい。その後は二人で「もうちょっとだ」と言い合いながら、11時前にやっと三国峠の道標に到着した。道端の湧き水も美味しかった。

CP10埼玉・長野県境:三国峠 193.5km地点 22:45

峠を過ぎて長野県に入ると、道路が舗装道路になり、こまどり荘の前あたりから圏外になっていた携帯もいきなり復活し始める。しばらく下っていくと、高原野菜の畑が見えてくる。時間は真夜中だが、薄い雲の上には満月が出ていて、曇っているがライトはつけないでも走れるくらい明るかった。たまに月が顔を出すと月影がくっきり見えた。
ここからは千曲川沿いを進む。あまり間違えるような道ではないが、コース地図を何度も確認しながら二人で進む。風が強く結構寒い。小雨も降ったりやんだりの不安定な天気だった。
CP11 長野県南牧村市場交差点 223.2km地点 5月2日4:55
南牧村に着いた頃には、あたりも明るくなってきた。しかし市場の朝ははやく、野菜を運ぶ大型トラックがブンブン通過していく。歩道もないところが多く引かれないように、道路の端を走る。しばらくすると朝早くから保科夫妻がエイドを開いていてくれた。ちょうど開いた時に到着したみたい。稲荷や漬物をいただき元気が出る。
だんだん気温も上がってきて、平地の単調な道が続くと眠気も襲ってきた。11時くらいについに眠くなって、コンビニの脇で20分ほど横になる。松橋さんは横で眠らず休憩に付き合ってくれる。休憩で少し元気になり、足を進めるが、今日のゴールが見えかけてきたところで、右膝に違和感が出始める。まずいなあと思いながら走っているとだんだん痛くなってきた。まだ半分も着ていないのに、膝が痛いのは致命的だ。早歩きに代えてなんとかごまかしていく。
CP12 佐久市長土呂東交差点 262.0km地点 13:01
ここまでくると今日のステージはあと17km。このあたりからまた雨が降り始めていた。そんな中14:22に小諸グランドキャッスルホテルにゴール。ここまで270kmだ。舘山さんがゴールで待っていてくれて、とりあえずハーフ完走を祝ってくれる。
CP13 小諸グランドキャッスルホテル 269.7km地点 14:22
膝に手ぬぐいを巻いていたので、膝が痛いとわかってくれたが、館山さんからは「絶対ゴールしなきゃだめだよ。僕も膝が痛くなってこんなに腫れちゃったけど怪我は治るから。絶対ゴールね」と念を押された。ホテルではまたまた速攻で風呂に入り、布団に入る。
また2時間ほどで目が覚めるが、今日はよく寝れば膝も治るかもしれないという期待をこめて、うとうととさらに4時間以上横になっていた。
起きて走る用意をする。あと2ステージはアシックスのGT2100で走ることにする。もう3年も履いているが、大き目のシューズなので、ウルトラくらいでしか履かないシューズだ。
起きた時、膝のほうは一度曲げると伸ばすことができないくらい痛くなっていた。が、全体的な疲労はそこそこ取れていた。


■第3ステージ 小諸キャッスルホテル〜新潟県津南町宮野原温泉「宝山荘」
あと距離は半分あるので、膝の痛みを考えて、このステージは歩いて行くことにする。120kmだから24時間くらいでいけるかなと予想をつける。23:30くらいにホテルから出発する。
しばらく行くと対面の歩道で酔っ払って、なんか叫びながら看板を蹴ったりしてるオヤジがいた。それもこっちに負けないスピードで歩いている。なんか怒っていて、脇から奥さんらしき人が車で追っていて、車に乗りなさいとか説得してるのだが、うるせー、とかなんとか言ってがんばって歩いている。しばらく併走するみたいな形になっていると、「おーい、にいちゃん」と声をかけてきた。やばいなあと思いながら無視して進んでいたら、道路を渡って追いついてきて、「何やってんの?」と聞いてくる。「東京から新潟まで走ってるんだ」というとまず第1声は「きちがいかあ」だった。その後、一生懸命ついてくるので、話してたら、おもしろいオヤジさんで、息子とケンカして居酒屋から出てきたらしい。家は何十キロの先らしいのだが、絶対歩いて帰るぞ、と言い張っていた。しばらくオヤジさんと色々話をしながら進み、「俺もマラソンやろうかな」とオヤジさんがいい始めたのには笑ってしまった。結局上田市内まで、一緒に歩いて、自分は上田城に、オヤジさんは国道をまっすぐ進んで別れた。ちゃんと家まで帰ったのかな。
CP14 上田城跡入り口 288.5km地点 5月3日3:35
この辺りは早歩きでしっかり歩けていて、いいペースで進んでいく。
CP15 長野篠の井橋北詰 313.1km地点 8:07

この日も暑くなってきて、昼は暑さとの戦いも続く。食事はほぼ3時間か4時間ごとにコンビニでサンドイッチを主食としながら進んでいた。このあたりからそれにアイスがついてくるようになってきた。
長野市街地に入って、善光寺の山門に向かう坂道でご家族で参詣に来ていたwiwiさんに出会う。こっちは必死なのでよくわからなかったが、wiwiさんが声をかけてくれた。「ええ、すごい偶然」というわけで、写真を撮ってもらう。元気をもらって善光寺へ。山門から本堂までは原宿みたいに人だらけだった。
 
CP16 善光寺 326.0km地点 10:48
参拝した後は、山門脇のお蕎麦屋さんで食事を取る。お店に入ったのは結局ここだけだった。いつも腹が減るとまずコンビニが出てきて、とりあえず食べるような状態だったので。お店はまだ昼前ですいていたので、座敷の席で足を伸ばして休むことができた。足の痛みは相変わらず、曲げられないし、がんばって一度曲げると今度は伸ばせない状態。しかし歩くときにはそんなに痛みがこないのでなんとかごまかすことができた。長野市内を抜けていく頃には、かなり疲労がたまってきていて、少しずつペースが落ち始めていた。蕎麦屋で休むまでほぼ12時間ぶっつづけで歩いてきていたツケか。1時間歩いて休むようになり、すぐに今度は30分歩いては休むような状態になってきた。
CP17 長野市浅野交差点 341.3km地点 14:22

長野市内を抜けて、千曲川中流域のきれいな風景が続く。疲労は10分歩いても休みたくなったり、1時間以上歩けたり、不安定な状態が続く。
CP18 飯山駅 358.8km地点 17:57
飯山の寺めぐり遊歩道を進む。金箔のトイレがあるので、楽しみにしていたがそのトイレがある建物自体がすでに閉館していて使えず。残念。雁木の商店街もあったけどなんか観光地っぽかった。この後夜中に通った長岡市内の雁木のほうが趣があった。

飯山市内を過ぎると、民家も少なくなってさびしく道路を進む。夜になると疲労はピークで、休みの間隔は30分にも足らないくらいになる。当然足の裏もじんじん痛い。休憩した時に足の裏を揉むと、痛痒くて、おかしかった。この日も松橋さんとは先に行ったり後になったりを繰り返していたが、夜になってまた合流して、二人で今日のゴールをめざした。松橋さんはすねをやられたらしく、テープをぐるぐる巻いていた。最後ペースはずいぶん落ちて24時間でこのステージをゴールはできなかったが、なんとかそれに近い時間で真夜中に宝山荘に到着した。
CP19 新潟県宮野原温泉「宝山荘」 390.1km地点 5月4日1:18
ここでもまたまた速攻で風呂に入り、布団に入る。
このレストポイントは3箇所とも大部屋みたいなところで、布団が並べられているだけで、ここまで2箇所ではうまく端のほうの布団で結構うまく寝れたのだが、ここでは、順位も落ちてきていて、すでに寝ている人が多く、真ん中の布団しか空いていなかった。さらに布団の上には、ロープが張ってあって皆のシャツなどが干してある。いやな予感がしたが仕方ないので寝たのだが、出発する人が干してあるものを取りにきて、枕元でどたばたされるは、またがれるはで、全然寝ることができない。それでも2時間くらいは横になっていたが、寝るのはあきらめて出発することにした。最後は距離も長く24時間以上かかるのは間違いないので、途中で寝るためのツェルト(くるまるため)も持って準備完了。今まで寝ると抜けていた疲労も今回はまったく抜けていない。最後はつらいだろうなと予想された。


■第4ステージ 宝山荘〜新潟市
スタートしたのは、6:30くらい。ラジオを聴きながらスタートする。30分も行かない頃、なんとサトさんが登場。わざわざこんな早い時間に車で応援に来てくれた。冷たいおしぼりやアミノバイタルとか膝が痛いというモブログも見ていてくれたので、薬までいただく。涙が出そうになりながら、再出発。しかしこの日も日差しが強く、さっそく眠気が襲ってくる。ほとんど寝ていないこともあったので、とりあえず道路わきの神社の境内の芝生で横になる。風がきて心地よく30分ほど眠る。少し寝て元気は…、出ない。昨日の前半は、ずいぶんよいペースで進めたので、今日も最初は行けると思っていたが、足が動かない。昨日できたことが今日はできない、ランニング・アルジャーノンだ。少し歩いては休み、また少し歩いては休み。普通に歩いている人より遅いくらいだ。これで時間内にゴールできるのかもちょっと不安になってくる。
CP20 小千谷市魚沼橋南詰 429.0km地点 15:47
CP21 小千谷市越の大橋西詰 446.5km地点 21:00
この季節、そろそろ田植えのシーズンだ。苗を準備しているところが多い。

CP20を超えるとついに残り100kmを切る。しかしここからが長かった。
新潟県内では、直線道路が多かった。

ひたすら道が続く感じで、精神的な疲労が増した。さすがにこのあたりではもう走りたくないという気分になる。途中ガソリンスタンドでジュースを買ったが、そこで何日かぶりにテレビを見た。野球中継だったが、なんか新鮮だった。その後コース沿いに自宅がある和田さんのエイドで休む。ここの笹団子が最高にうまかった。
ここまでも寝不足でバス停のベンチなどで居眠りをしてきたが、夜に入り23時くらいにまた少し横になる。カッパを着こんで、ツェルトを体に巻いて、道路わきの芝生で30分ほど寝る。起きると少し元気になって、気持ちも「最後だから走ろう」と前向きになる。そして、ここから数時間走る。実際走り始めると膝もそんなに痛くない。たぶん興奮しているせいもあるのだろう。体がすっと生き返った数時間だった。
CP22 長岡市大手町交差点 459.7km地点 5月5日 0:39
CP23 三条市三条大橋南詰 483.1km地点 5:57
470kmを過ぎたところあたり、朝の4時くらいに、北川さんにメールを入れる。このあたりが実家で、エイドにきてくれることになっていた。しかし、疲労困憊していて、メールを入れた後、バス停で小屋になっているところがあって、そこに休憩で入って休んでいた。よく考えると道路から外れてしまったら、北川さんも見つけることができないのだが、疲れているのでそういうことに全然気が回らなくなっていた。
数分休んでいたらいきなり、戸をガラッとあけて北川さんが登場。北川さんは、車で探してくれたのだが、見つからなくて探したらしい。そこでいないなら、ここだなとわざわざ来てくれたのだった。ここでまた稲荷とかコーヒーをご馳走になって、少し元気が出る。朝早くからほんとに感謝の感でいっぱいになる。気分は元気になって、また進み始めるものの、またすぐにふらふらに。朝の7時くらいに、お日様を受けながら、道路わきで30分ほど横になって寝る。それからもなんとか歩き続けてゴールを目指す。途中ラジオから堺正章の「さらば恋人」がかかって、なぜかちょっと泣きたくなった。もう走りたくないと思いながらも足を進めた。
CP24 新潟市「新潟ふるさと村」 513.0km地点 13:09
CP25 新潟市日本海岸(関谷分水路口) 518.3km地点 14:51
500kmを超えてゴールができることは確実になる。しかしもう足が動かない。「ふるさと村」は連休で人がいっぱい。中に芝生があって、皆お弁当やら食べている中、一人芝生にべったり座って休憩する。明らかに変な人だ。

ここからは、信濃川沿いの土手に出て、最後日本海を目指す。もうゴールに時間内に着くのは確実だったので、土手でも何回も座って休む。そしてついに日本海へ。

なんだかんだでこのステージはもう30時間以上が経過している。このポイントで選手がほかに3人も一緒になる。最後ゴールに向かって歩いていたら、選手の一人から走らないんですかと言われる。「いやあ膝も痛いので」と言ったものの、最後は走ろうと考え直して、数キロを走る。一緒にいた3人をはるか後ろに置いて、最後のゴールへ。感動というより、やっと終わったという感じだった。
ゴール 新潟市 ホンマ健康ランド 522.0km 15:29

これはゴールした後、写真のためにわざわざテープをまた張ってもらったとこ。

それにしても長い522kmだった。膝の故障でうまく走れなかったが、なんとか完走できたのでまあ、よいとしよう。ちょっと不完全燃焼だったが、そういうときもある。

でも、今回ほど皆の応援が力になった大会はなかった。メールやブログ、さらにはコースまで来てくれた人。本当に感謝です。とてもうれしかったです。どうもありがとうございます。
自分の力だけで走ってるんじゃないんだなと心から感じた大会でした。

終わった後は、お風呂でゆっくりして、ビールと食事を取る。次の日は連休最後で、新幹線も満席とラジオで言っていたので、早々に帰ることにする。関根名人と松橋さんが一緒にゴールして、3人で祝福しあった後、駅に向かった。このときはさすがにタクシーを使いました。新幹線の中では、1週間ぶりにしっかり音楽も聴いた。久々にするとなんでも感動するものだと思った。
このとき聞いていたのはこれです↓

Live

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■装備など
リュック:カリマーAR35
シューズ:第1ステージ サッカニー:ハリケーン8
     第2ステージ バスク:アンプ(トレイルシューズ)
     第3・4ステージ アシックスGT2100
持ち物:ツェルト・カッパ・薄手のジャージパンツなど

シューズは、使い古しのものを3足持っていった。トレイルシューズはやっぱりちょっと重いかも。第2ステージ以降はソックスは薄手のものを2重履きにした。シューズは比較的大きめだったので、豆はできなかった。個人的意見かもしれないが、5本指ソックスより普通のソックスのほうが豆はできにくいと思う。5本指ソックスは自分は履かないが、履いて豆ができている人をたくさん見たので。
あと、ほとんど毎日晴れていたので、顔は日焼け止めを塗り、最終ステージは長袖シャツ、ジャージパンツのまま走った。こういう長いレースでは、日焼けによる疲労も考えないといけないと思った。実際2連覇しているSさん(今年は途中棄権)は、長袖長ズボン、手袋までして走っていた。
レストポイントでは、毎回しっかり6時間ずつ寝ようと思っていたが、大部屋という環境や、疲労から3箇所合計で、12時間くらいしか寝れなかった。あとは道路わきの芝生などで数回横になった程度。夜にはツェルトも防寒の布団として役に立った。
大会としては、さすが館山さんの運営なのでしっかりしている。スタッフの皆さんは選手が入ってくるのを徹夜で待っていなければならず大変だが、しっかりケアしてくれてすばらしかった。感謝です。
大会の時間設定も緩やかで、途中で故障したり、コースアウトしたりしない限りは、完走できる大会だと思う。きついけどやればできる大会です。私以外にもぜひ挑戦してほしいと思う。
私自身は、ロードの長距離はちょっとお休み。膝をしっかり直して、当分は山のほうを走りたい気持ち。いや新潟に入ってからの長い直線の道路にはホント参りました。